Pina

Ayaka Nishi | March 26 2012 | 0 Comments

ドイツのコンテンポラリーダンサー、ピナ・バウシュのドキュメンタリー映画「Pina」を見ました。
ドキュメンタリーでは珍しい3D映画でした。



ピナ・バウシュという名前を聞いたのは、私が東京に上京したての18歳の時でした。

私が、東京で大学生をしていた頃、周りにダンスに傾倒してる人がなぜか多くいました。その人たちから、ダムタイプだの、パパ・タラフマラだの色んな未知の世界を教えてもらいました。ある大学の先輩が、「ピナ・バウシュというすごいコンテンポラリーダンサーの公演があるから、一緒に見に行こう!」といってに連れられて、初めて、ピナ・バウシュのコンテンポラリーダンスを東京の草月ホールで見ました。

コンテンポラリーダンスの世界というのは、とても独特です。
あの、見たこともない、動き、感情をそのまま表現した様なコンテンポラリーダンスの独特の世界の洗礼を受けた時、18歳の鹿児島の田舎から出てきたばっかりの私には、衝撃が強すぎて、うまく消化できずに混乱したような気がします。

「なんか、凄い。でも、よくわからない・・・。なんなんだろう、これは。」しかし、周りの先輩は、公演をみた後、「素晴らしい!」と言って色々と感じたことを語っていました。当時の私は、衝撃が強すぎて、感想を求められても、何と答えていいのか、とても困りました。そして、自分の芸術に対する造詣の浅さを感じて、ちょっと情けなく思ったものです。

あれから、15年。久しぶり、ピナ・バウシュを映像を通して見た感想は、「おや・・・。私も、ちょっと大人になったんだな・・・。」という感じでした。もちろん、久しぶりのピナ・バウシュのダンスの世界は、最初はやはり、とまどいました。しかし、18の時に公演を見た時ほどの混乱はなく、すっと自分なりに、なじんで、自分なりに受け止めることができました。

おそらく、自分自身をジュエリーの制作を通して、表現という事をずっと追求してきているので、独特の表現も素直に受け入れられた事と、NYに住んで5年もたって来ると、ちょっと変わったことや、非日常に対しても、おおらかに受け止められるキャパができたのかなと思います。それと、18歳の頃と比べると、色々と社会経験や人生経験なども多少、味わって、抽象的なダンスの表現からもっと、共感できるものを感じ取れるようになったのかもしれません。
18歳の多感な時に、ピナ・バウシュを教えてくれた、先輩(今はもう連絡をとってないけど、元気かな・・・?)に、今まさらなから、感謝しました。

この様に芸術というのは、恋愛だったり、挫折だったりある程度の人生経験をしてないと、共感できないものもあるので、年を重ねていくのも、あながち悪いものでもないなと今回思いました。
今回のピナ・バウシュの映画は、そういった意味では、自分の成長を感じることが出来た映画でもありました。

言葉ではなく、表情と動きで、抽象的なものやストーリーを表現するのは、とても見ていてドラマチックでもあり、心にストレートに響いてきます。
特に印象的だったのは、最初の女性のグループと男性のグループに別れで踊っているシーンで、一人の女性がおびえたように、ある洋服を手にして、男性に渡そうとするシーン。
とても抽象的なシーンですが、社会のなかのある犠牲者(罪を背負う人?)とそれを切り捨てようとする人たちの対立という風に見えました。
それから、何度も、腕を解かれても、抱きしめあう男女の姿は、神の運命に逆らう男女の姿を感じました。
はやり、ピナ・バウシュはドイツの人で、少し、キリスト教などの宗教的なメッセージもあるのかもしれないな・・・と思いました。

この映画は、アカデミー賞の外国映画部門と長編ドキュメンタリー部門にもノミネートされたみたいです。
音楽も実は、日本人の音楽家、Jun Miyakeさんが関わっているようで、とても良いです。
ちょっとアーティスティックな刺激が欲しい時に、おすすめの映画です。